小栗康平 映画監督 「戦後70年 語る・問う」(33) 2015.10.16
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- Опубликовано: 1 янв 2025
- Kohei Oguri, Film Director
画家・藤田嗣治を描いた新作「FOUJITA」(制作・脚本も担当 11/14公開)を完成させた小栗康平監督が会見し、記者の質問に答えた。
司会 倉重篤郎 日本記者クラブ企画委員(毎日新聞)
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記者による会見リポート(日本記者クラブ会報2015年11月号に掲載)
フジタの内面の哀しみとは?
いまなぜ藤田嗣治なのか。小栗さんによると、1つは著作権問題だという。藤田氏側の厳しい管理でなかなか映画化が果たせなかったのが、ある人の仲介でそれが可能になった。もちろん、藤田という人物に関心がなかったわけではない。
だから、制作にあたり、藤田に関する文献は日記に至るまで相当読み込んだ。騒がしいエピソードがいっぱいあった。自我が強く、個性的な生き方をする藤田がいた。だが、映画化する際にはそういった伝記的なものは避け、その内面的なものを描こうと思った、という。それは、1920年代のエコール・ド・パリで日本画的な技法で大人気を博し、1940年代の日本では西洋の歴史画的タッチで戦争協力画を描き、全く違う2つの時代、空間で、プロとしてひるまずに表現に携わってきた人間の哀しみみたいなものだという。
小栗さんの映画監督としての一貫したモチーフは、「ヨーロッパ近代を日本がどう受容したか」である。近代化が果たして日本人を幸福にしたのか。その最大の成功者に見える藤田の内面に一体どういう哀しみがあったのか。ここからは映画を見ながらじっくり考えたいところである。
企画委員 毎日新聞専門論説委員
倉重 篤郎